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「光りあるところに影がある」超人的忍者は存在したのか? [戦国]

 

 白土三平作 サスケ.png

 白木三平作 サスケ

 

漆黒の闇を疾風の如く駆け抜け、手裏剣を打ち、高い塀も難なく

飛び越える。

その姿を追えば、煙の如く姿を消す。

 

映画やアニメの世界で活躍する超人的な忍者。

はたして実在したのでしょうか?

 

以下順に考えてみました。

 

*戦国の世 時代は忍者を必要とした

 

戦国時代、武将たちが繰り広げた合戦は戦う前にすでに勝負が

決していたことが多かったようです。

 

戦国武将たちは戦いにあたって、敵側に内通者を作る(内通工作)、

意図的な噂を流し敵方将兵を仲間割れさせる(離間策)といった

謀略を仕掛ける。

事前の謀略戦が合戦の勝敗を決定づけたと言えるようです。

 

またいざ合戦となれば、闇夜に紛れて敵方を奇襲するといったゲリラ戦

や、敵陣営に放火し後方を混乱させることも有効な手段でした。

 

こうした謀略戦やゲリラ戦には当然その実行者が必要となります。

高度な専門能力を備えた実行者が必要となるのです。

 

例えば、

戦国武将の領国は現代と比べずっと閉鎖的な社会でしたから、敵方に

怪しまれずに敵国情勢を掴み、何らかのネットワークを使って収集した

情報を味方に伝達するといった 謀略戦には欠くこのできない諜報活動

の実行も決して容易ではなかったはずです。

 

*忍者の持つ技術 化学知識と心理術

 

磯田道史氏著「歴史の楽しみ方」は忍者を‘化学者としての忍者’

として取り上げており興味深いです。

古文書から毒薬や生物兵器に通じた忍者の姿が浮かび上がる。

戦国、徳川期初期に多く事例が残る‘邪魔者’の不審な死の真相には

毒物を自在に扱う忍者の関与があったかもしれない。

 

 

‘飛び加藤’の異名を持つ戦国の忍者、加藤段蔵にまつわる逸話。

越後の上杉謙信に仕官先を求めた加藤段蔵は春日山城の城下町で派手

なパフォーマンスをする。

大木に繋がれた一匹の大きな黒牛を指さした段蔵は、大勢の群集に

向かい大声で「この大牛を俺が飲み込んでみせよう」と言い放った。

段蔵は大きな黒い布を自分の頭と大牛の頭にかぶせた。

かぶせられた黒い布の中で、大牛の頭が確かに飲み込まれ、

やがて大牛の腹が、足が、そして最後には尻尾までが飲み込まれ、

大牛の姿が消えた。

 

もう一人、豊臣秀吉を恐怖させた果心居士の話。

果心居士は秀吉に請われ妖術を披露する。

側近を遠ざけてひとり部屋に残る秀吉。

秀吉は果心居士の使う妖術を待った。

やがて部屋が闇に包まれ、1人の若い女性が現れる。

むかし戦場で秀吉が犯し、殺した女性だった。

決して忘れることの出来ない過去の自分の過ち。

「もうよい!やめんか!」、恐怖に駆られ秀吉が叫ぶ。

秀吉の叫び声に駆け付けた側近に向かい、秀吉は果心居士の

磔刑を命じる。

磔柱に縛られた果心居士は、処刑の寸前に一匹のネズミに姿を変え、

消え去った。

 

人間心理に通じ、思い込みや錯覚を巧みに利用した妖術を操る忍者。

ハンカチーフから飛び出す鳩、剣で串刺しにされながら傷ひとつ

ない美女、幾重にも鉄鎖が巻かれた木箱からの脱出などスペクタクル

な現代のマジックショーにも決して劣らない忍者の妖術。

忍者の使う妖術を目撃した当時の人々の驚きはいかほどのものか。

人々の驚きは逸話となり語り伝えられます。

逸話の中に真実はあったと考えたい。

 

*忍者の身体能力

 

北斗神拳の伝承者ケンシロウ氏は「普通、人間は潜在能力の30%のみ

使えるが、北斗神拳は転龍呼吸法により残り70%の能力も発揮できる」

と語る。

 

MIZUNO社のWEBマガジンに「心理的限界を超える火事場の

馬鹿力の秘密」という興味深いコラムを見つけました。

それによれば、人間の脳は筋肉や骨の損傷を防ぐため、本来使える力

を抑制してしまう安全装置がかけられているらしいです。

このため通常、人間はこの安全装置により自分の意識のなかで限界と

思っているところまでしか力を発揮できない。これを心理的限界と

呼ぶそうです。

しかしこの安全装置が外れたとき、心理的限界を超えて筋肉が本来

持っている力(生理的限界と呼ぶそうです)を人間は使うことができる。

生理的限界のおよそ70%が心理的限界となるようです。

 

さすがに北斗神拳と比べると少し迫力不足になりますが、忍者はこの

心理的限界を超えた能力を発揮できたのではないか。

 

この世に生を受けた時から忍者になることを宿命づけられている者たち。

幼少より閉ざされた生活環境のなか、ただひたすら技を磨く彼ら。

常人が持つこの‘臆病な安全装置’なぞやすやすと

忍者は超えたに違いない。

 

 

戦国の世の中、忍者が縦横に働く場が用意されていた。

彼らは化学的技術を持ち、人間心理に通じ、巧みな妖術を操る。

その身体能力は優に普通の人間の限界を超えた力を発揮した。

 

超人的な能力を持つ忍者たちは実在したと考えたい。

 

戦国武将たちが演じた華々しい国盗り物語の裏面に確かに彼らは存在した

のではないでしょうか。

 

 

「光あるところに影がある。まこと栄光の陰に数知れぬ忍者の姿があった。

サスケ、お前を斬る!」

忍者アニメの傑作「サスケ」オープニングより。

 

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江戸の旅行エージェント [幕末 江戸]

 

「最も往来が激しい東海道のような街道は、ヨーロッパのどんな

にぎやかな都会よりもさらににぎわっていることを読者の皆さんに

保証する。この国の人々が自ら好んで、あるいは必要に迫られて、

旅に出ることの頻繁さといったら、恐らくどの国の国民よりも勝って

いるだろう」

 

1690年に長崎蘭館の医員として来日したケンペルが「日本誌」の中で

記している。

 

江戸期、人々は続々と旅に出ます。

街道筋の宿泊施設の整備にともなって江戸中期から庶民の旅も活発に

なってきます。

旅人が日本国内を盛んに歩き回りはじめた背景には、

ある旅行エージェントの存在があったようです。

 

そのエージェントとは御師(おし)です。

 

(現在放映中の大河ドラマ「軍師 官兵衛」にも御師が登場します。

尾藤イサオさん演じる広峯神社の御師 伊吹善右衛門です。

竜雷太さん演じる黒田重隆が家伝の目薬を広峯神社の御師に託し、

御師がお札に添えて販売します。

眼病に効果てきめん?の黒田印の目薬は大ヒット商品となり、

黒田家発展の基盤をつくったと伝えられています。)

 

お伊勢参り.jpg

 お伊勢参り

 

御師は社寺の神官ですが、その信仰を広めるためにかなりの遠方まで

お札を配り祈祷をおこなって、信者を獲得し初穂を集めました。

 

御師はまた社寺への参詣の勧誘や参拝や宿泊の手配、案内も

おこないました。

御師は社寺の営業マンであり、添乗員でした。

 

御師の活躍もあり、遠く離れた地にある有名社寺への信仰集団(講)

江戸期には多く発展します。

有名な講には、伊勢講を筆頭に富士講、熊野講、大山講、金毘羅講や

日光講などがあります。

御師はそれぞれ講に所属する人(講員)の家をまわり、初穂を集め

たり参拝の勧誘をするわけです。

 

一生に一度は行きたいお伊勢参り。

 

お伊勢参りを案内してくれるのが神宮の御師(伊勢の場合はおしでは

なく‘おんし’と読むそうです)です。

 

御師は、参拝者の出迎えから道案内もしてくれますし、豪華な

宿泊施設贅沢な食事も提供してくれます。

帰りにはお土産まで頂戴し、まさに至れり尽くせりの扱いです。

 

講員はおよそひと月ほど(他所もゆっくり観光すればプラス5~10日)

の旅を終えてたくさんのお土産話を持って帰っていきます。

                                                                                                                     

「○○の国では○○に○○をかけて飯を食うんだよ、信じられね~」

「○○宿の○○って遊女は本当に情があって良かったな~」

「○○が凄いって評判だから見に行ったが、江戸の○○の勝ちだな」

 

本当に出来ることならまた行ってみたい旅ですが、

ちょっと無理な相談でしょう。

 

旅費が高額です。

旅は順番なのです。

 

旅費捻出のカギは講の相互扶助システムにあります。

講員は毎月少額のお金を積み立てます。

お金が貯まったところで厳正なくじを引き、くじに当たったものが

講員を代表してお参りに行けます。

すでにお参りに行ったものはくじを引けません。

次はお土産話を聞いて、目を輝かせる○○さんの番です。

 

 

遠方への旅へはそうそう行けなくとも、江戸の庶民はお弁当持参の

ワンデイトリップにはよく出かけたようです。

江戸は市街地の範囲が狭いため、歩いて行くことのできる風光明媚な

場所が多くあり、庶民は気楽な遊山を楽しみました。

日本橋から1時間かそこら歩けば郊外に出て、ちょっとしたピクニック

気分を味わえたでしょう。

旅ともなれば1日に30キロは歩く健脚ぶりを発揮する人々ですから、

朝ごはんを食べてから家を出て、郊外で遊山を楽しんでまだ明るい

うちに帰宅することはじゅうぶん可能だったわけですね。

 

 

*お読み頂き有難うございます。

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か弱い姫君? [戦国]

 

「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝事(かつこと)が本にて候事」

朝倉氏3代に仕えた猛将朝倉宗滴の残した家訓「朝倉宗滴話記」より。

 

犬とも、畜生とも罵るがよい。(どんな手段を取ろうとも)武者は

勝たねばならないのだ!

凄まじいまでの勝利への執念渦巻く戦国時代。

 

厳しい戦国の世にあって、自国の領地を守り、拡大していくために

政略結婚はごく普通におこなわれました。

あるいは結婚そのものが政略的でした。

 

初恋の人への思いを隠し、父の命ずるままに他国に嫁ぐ姫君。

悲しき運命に翻弄される薄幸の姫君。

 

大河ドラマでも涙を禁じ得ない場面となります。

 

しかし戦国の女性はそれほど‘やわ’ではなかったようです。

 

その美貌から戦国に咲いた花ともうたわれたお市の方が、兄である

織田信長の政略により浅井長政のもとに嫁いだのは

永禄七年(1564年)。

その3年後、信長は浅井氏と関係の深い越前の朝倉義景の討伐を企てる。

浅井長政は信長ではなく朝倉との同盟を選択。

信長は越前に侵攻、この時近江の浅井が信長軍の退路を断てば信長軍は

もはや袋の鼠となり壊滅する危機となった。

兄信長の危機を察したお市の方は信長に小豆の入った袋を急ぎ送った。

小豆袋はその両端を細縄で固く縛られていた。

小豆袋は信長が袋の鼠になるというお市の方が送った警告であった。

警告に気づいた信長は間一髪のところで危機を脱することができた。

 

 

美濃の斎藤道三の娘であり、信長の正室となった濃姫の話です。

信長に嫁いでほどなくして、濃姫は信長の奇妙な行動に気づいた。

信長が夜ごと寝床を抜け出してどこともなく出ていく。

不審に思った濃姫が信長に問いただすと、信長は「すでに数名の斎藤家

重臣がこちらに内通している。彼らは道三を殺し、狼煙をあげると

約束している。それで毎夜高台に登り狼煙があがるのを待っているのだ」

と打ち明けた。

信長の話を聞いた濃姫は密かに密書を父道三に送る。

「父上、数名の家臣が夫信長に内通、父の命を狙っています!」

密書を読んだ道三は激怒、密書にあった内通者を即座に殺してしまった。

しかしこれは斎藤家の弱体化を狙った信長の謀略であった。

 

この2つの逸話(事実であったか正確にはわかりませんが)は当時の

姫君の意外な逞しさを物語っています。

 

姫君たちは決してただ不幸な運命に弄ばれていただけではないようです。

 

彼女たちも欲望渦巻く戦国の世にあって、何よりも実家を守るため懸命

生きることを優先した。

 

‘タフ’な女たちです。

 

タフガールが相手となれば、男たちの接し方も現代とは

ちょっと違う?ようです。

戦国の時代から、江戸初期にかけては女性に対して総じて冷淡な態度を

取ることが武士の心得でした。

 

氏家幹人氏著「武士マニュアル」に戦国時代の高名な剣客、塚原卜伝

が詠んだ武士の心得100首を集めた「卜伝百首」が紹介されています。

 

その中に女性への接し方で守るべき3つの教えがあります。

 

*武士は女に染まぬ心もて これぞ誉れの教えなりける

*武士の稚児や女に戯れて 心おくれぬ事はあらじな

 

3つめがちょっと凄いです。

 

*武士の月代(さかやき)を剃る剃刀を かりにも女の手にも取らすな

 

 

他の文献でも「人の心は変わりやすく信じがたいが、とりわけ女には

心を許せない」「7人の子をなすほど長く連れ添った女でも心許すな」

などなど・・・警句が散見されます。

 

マッチョな武士社会が生んだ女性不信でしょうか、

あるいはタフな女性たちに対する武士の自衛策だったのでしょうか?

 

 お市の方.jpg

 お市の方肖像画

 

お読みいただき有難うございます。

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