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中世の人口過密都市鎌倉 [鎌倉]

中世の人口過密都市鎌倉


鎌倉の人口


現在の鎌倉市の人口はおよそ17万人。鎌倉時代の鎌倉の人口についてはもちろんよくわかっていないが、建長4年(1252年)に鎌倉幕府が禁酒法(枯酒の禁、一種の倹約・禁欲令)を発令した時に調べ上げられた酒壺の数(この法令により鎌倉市中の民家が所有していた37274個の酒壺のうち各戸1個だけを残してあとは全て破却された)や様々な市内の発掘調査の成果から、当時の鎌倉の人口はおよそ5万人から10万人程度と見積もられている。


2015年に放映されたNHKの「ブラタモリ」鎌倉編では、鎌倉時代の鎌倉の範囲が現在の市域の地図と重ねるとその面積は約3分の1と狭く、この狭いエリアに最大で10万もの人々が住んでいたこと、現在はこのエリアの人口が5万人くらいであることからかなりの人口密度であったこと、このため三方を山に囲まれ平地が少ない地形上鎌倉時代の住民は山際の谷(ヤツ)を積極的に利用、岩盤を削って平地を確保することで使える土地を広げていったことなどが紹介された。 


鎌倉の風景


宮中女性の後深草院二条の日記・紀行文『とはずがたり』には当時の鎌倉の風景を知ることができる一文が記されている。正応二年(1289年)に鎌倉を訪れた彼女は「仮粧坂(けわいざか)という山を越えて、鎌倉の町の方を見ると、東山より京の町を見るのとは大分趣が違い、 家々が階段のように重なり、あたかも袋の中にものを入れたようにぎっしりとつまって住んでいる。」当時の鎌倉の住宅事情がいきいきと描写されており興味深い。 


都市法令


人々がひしめくように暮らす活気ある武家の都 鎌倉。


一方で、人口の過密は環境悪化や犯罪増加などの問題をひき起こし、その対応を迫られた鎌倉幕府は種々の法令をうち出している。例えば、防犯のため辻(十字路、道の交差点)ごとに住民(自警団)にかがり火をたかせることを命じた。また人が集まりやすい辻で相撲をとることを禁じた。これは騒動につながる恐れのある集会?の自由を制限した法令とも言えるだろう。


また過密な住宅事情は往々にして違法建築の乱立を招くが、この問題についても幕府は「溝(道路わきの側溝)の上をまたいで家を建ててはいけない」「家の軒(のき)部分を道に張り出させてはいけない」などの禁令を定めている。


禁令は繰り返し発令されており、住宅をわずかでも広げるため手段を選ばない住民側と為政者側の攻防の様子がうかがわれる。


ゴミの問題にも幕府は頭を悩まし地区役人に担当区域の道路清掃について責任をもって実施するように求めた。鎌倉幕府は都市の顔とも言うべき道の秩序を保つため多くの法令を発しているが、中でも「道端に病人や孤児、死体や牛馬の骨肉を捨てることを禁ずる」ことを命じた法令は中世都市のすさまじい光景の一端を伝えるもので胸が痛む。


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■参考図書■


「武士の掟」高橋慎一朗 新人物往来社


「中世都市 鎌倉」河野眞知郎 講談社学術文庫



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